中国第一歴史档案館あれこれ


中国第一歴史档案館

 私が四年の留学期間中、ひたすら通い続けた中国第一歴史档案館(以下、第一档案館と略す)についての、とりとめもないメモ、記憶を中心にまとめたコンテンツです。大したことは書いていませんが、档案を漁る際、少しは役に立つかもしれません。また、私個人の興味に沿ってとったメモをもとにしているので、史料の話などは、どうしても清末の話に偏りますので、ご了承下さい。档案館利用指南については、他に記されている方もおられることですし、そちらをご参照下さい。

 まずは常識的な話から。中国「第一」歴史档案館というからには、「第二」もある。現在大陸には、政府の歴史档案(主に中央政府の)を保管・整理する档案館が三つ存在する。第一档歴史案館が明清時期の档案を、第二歴史档案館が民国時期の档案を、そして中央档案館が人民共和国以降の档案を保管・整理することになっている。第一、第二が既に開放され、研究者が、基本的に自由に出入りできるようになっているが、中央档案館は、中国国内の研究者にすら利用が許されていない。


第一档案館収蔵档案の種類

 档案館所蔵の档案で、閲覧可能な物は、基本的に目録がつくられている。未整理で、目録すらつくられていないものも存在すると思われるが、そのような档案については、我々からは通常うかがい知ることはできないし、館員と根気よく相談して利用の足がかりをつかむほかない。
 ともかく、档案館のHPで紹介されている目録は74種類確認されている。それらを便宜的に、各機関の档案、個人档案、その他に分類して列挙すると、以下のようになる。
各機関の档案(中央)
内閣全宗 軍機処全宗 宮中全宗 内務府全宗 宗人府全宗
責任内閣全宗 弼コ院全宗 憲政編査館全宗 修訂法律館全宗 国史館全宗
吏部全宗 戸部-度支部全宗 礼部全宗 兵部-陸軍部全宗 刑部全宗
工部全宗 外務部全宗 学部全宗 農工商部全宗 民政部全宗
郵伝部全宗 八旗都統衙門全宗 大清銀行全宗 督(弁)塩政処全宗 会議政務処全宗
鑾儀衛全宗 巡警部全宗 醇親王府档案 総理練兵処全宗 神機営全宗
京師高等審判庁・検査庁全宗 近畿陸軍各鎮督練公所全宗 税務処全宗 理藩部全宗 方略館全宗
都察院全宗 軍諮府全宗 資政院全宗 歩軍統領衙門 北洋督練処
欽天監 国子監 楽部 陵寝礼部 太僕寺
太常寺 光禄寺 鴻臚寺 翰林院 大理院
会考府 清理財政処 管理前鋒護軍等営事務大臣処 健鋭営 火器営
侍衛処 尚虞備用処 禁衛軍 京城巡防処 京城善後協巡総局
京防営務処 禁烟総局

各機関の档案(地方)
順天府全宗 山東巡撫衙門全宗 黒龍江将軍衙門全宗 寧古塔副都統衙門全宗 阿拉楚喀副都統衙門全宗
琿春副都統衙門全宗 長芦塩運使司全宗

個人档案
趙爾巽 溥儀档案全宗 端方档案全宗

その他
明代档案全宗 輿図匯集
 ここに挙げてある目録タイトルは、基本的に档案館の閲覧室前の目録室にある目録であるが、これが全てではない。
(未完)


档案館訪問の際に役立つ工具書

○収蔵档案についての解説書。
秦国経『中華明清珍档指南』人民出版、1994年。
 第一档案館の元副館長の秦国経による档案指南。一応、第一档案館以外の档案についても記されているが、あくまで内容は第一档案館の档案紹介がメインになっている。私が持っているのは1999年発行の第三版だが、2001年頃には既に入手困難になっていた。第四版は出るのだろうか。

≪明清档案通覧≫編委会『明清档案通覧』中国档案出版社、2000年。

○行書・草書で書かれた档案を読む際に役に立つもの。
(題本や奏摺などの正式な政治文書は楷書で書くのが原則であるが、それらの筆写文献である録副などの档案は、筆写の速度の方が重要なので、当然楷書で書いてはいられない。必然、それらの筆写文献は、行書・草書で書かれている。私は学部時代にだいぶ日本史の古文書読解の演習に参加していたので、あまり抵抗なく行書・草書の世界に入っていけたが、予備訓練のない人にとっては読解にかなりの苦労がいるらしい。)
『行草大辞典』 中国書店 1995年
『草書大辞典』 中国書店 1983年


第一档案館の沿革

 第一档案館の前身は、紫禁城の文物を接収してつくられた故宮博物院文献部である。その収蔵档案は、周知のごとく日中戦争・内戦により、現在に至るまで数次の移転・分割という数奇な運命を辿っており、紫禁城に残されていたものが、そのまま現在の第一档案館に引き継がれているわけではない。第一档案館で閲覧できる档案が、全体のうちにどのような位置・量を占めているのかを知るには、最低限、以下の档案館の沿革をおさえていなければならない。また、档案館から出版される档案集も、出版年代が档案分割の前であるか後であるかというのは、非常に重要な区分になってくるわけである。極めて大雑把に言うと、紫禁城内にあった档案は、現在では第一档案館と台湾の国立故宮博物院に二分されているということになるのだが、まずは簡単に沿革をまとめてみよう。
北京での動き 南遷及び台湾移送部分の動きなど
1914年  政府が紫禁城南部の外廷部分に陳列所を設け、熱河避暑山荘と瀋陽故宮の文物をここに収容する。
1924年  馮玉祥が北京に進駐し、溥儀を紫禁城より退出させ、「清室善後委員會」を設置。
1925年10月10日  故宮博物院成立。故宮博物院の下には古物館と図書館が設けられ、図書館下には、更に図書部と文献部が設けられた。この文献部が、中国第一歴史档案館の前身と位置づけられている。
1927年6月  文献部掌故部と改称。
1928年10月  国民革命軍が故宮を接収(6月)。10月に「故宮博物院組織法」を公布。掌故部文献館と改称し、古物、図書、文献三館とする。
1931年  国民政府が、故宮の文物の南遷を決定。古物陳列所に分蔵してあったものと頤和園、国子監の文物6,066箱を搬出。
1936年  上海に置かれていた文物を南京朝天宮の倉庫に移送。
1937年  80隻の鉄箱につめられた文物を武漢、長沙、貴陽、安順へと転々と運搬し、最後は四川巴県に到る。南京に移されていた文物16,000箱は、水陸両路を経て西方に移送される。水路を運ばれたものは重慶を経て、楽山へ到る。陸路を運ばれたものは、陝西を経て峨嵋へ到る。
1945年  巴県・楽山・峨嵋の文物は、一旦重慶に集められ、その後南京の中央博物院籌備處に移される。
1948年  故宮と中央図書館、中央研究員史語所、中央博物院籌備處が、台湾に移送する文物を選定。1949年にかけて三次にわたって移送作業が行われる。台湾移送後の文物は、國立中央博物圖書院館聯合管理處が管理し、台中縣霧峰郷北溝で保存される。
1951年5月  文献館が档案館と改称。
1955年12月  故宮博物院档案館が国家档案局の管理下に移り、第一歴史档案館と改称する。
1959年10月  第一歴史档案館が中央档案館に併入され、中央档案館明清档案部と改称する。
1965年  台北の雙溪に新館を建設し移転。新館を中山博物院と称する。
1968年  書画組から図書文献處が独立。
1970年  図書文献處に図書館を増設。
1969年12月  明清档案部が、再び故宮博物院管理下に移り、故宮博物院明清档案部と改称する。
1980年4月  明清档案部が故宮博物院から独立し、中国第一歴史档案館と改称し、国家档案局直属の文化事業単位となる。
1996年  国立故宮博物院図書文献館完成。
 上記の年表は、主に第一歴史档案館HP http://www.npm.gov.tw/main/hmain.htm と故宮博物院HP http://www.npm.gov.tw/main/hmain.htmを参考に作成した大雑把なものだが、他の档案の流出・移管・再収集の流れを考証しだすときりがなくなってくる。例えば、戸部大庫黄冊の流出・移管・再収集の流れについては、岸本美緒氏が考証しているが、戸部大庫の黄冊は上記年表とはまた違った流れで、第一档案館に集められているようである。
 また、1924年に馮玉祥が接収する前には、既にかなりの収蔵物が流出していたことが知られており、それを再び買い戻して形成されたとおぼしき档案群も見受けられる。
 順天府档案や山東巡撫衙門档案のような地方档案は、本来紫禁城には存在しなかったはずのものであり、これらは民国期以後になって、買い集めたか、地方から移管してきたと思われる。地方档案と同じく、端方档案や趙爾巽档案などの個人档案も、やはり民国期になってから移管されたものである。趙爾巽は、清史館の館長をしていたわけであるから、趙爾巽档案は清史館あたりから移管されてきたのであろう。

 档案南遷の際には、どのような基準で南遷の档案が選別されたのだろうか。故宮博物院収蔵物のうち、美術品などの骨董的価値の高いものは、根こそぎ台湾に持って行かれたという話はよく知られているが、档案をどのような基準で選別したかについてはよくわからない。外交関連の档案のみは、実務性の高いものが選り分けられたというのは、はっきりしている。例えば、清代に諸外国と結んだ条約の文書などは、基本的に全て持ち去られており、1997年香港返還時に、南京条約の調印文書が、人民共和国当局の手になかったというエピソードもある。(また、外交関連档案の散逸・収蔵状況については、http://kins.grips.ac.jp/records/nakarmi.htmにも有益な解説があるので参照されたし。)
 しかし、その他の分野の档案が、どのような基準で選別されたのかは、さっぱりわからない。私が見た限りでは、宮中档・軍機録副などは、ほぼアトランダムに半々に分割されているような印象を受けた。ただし、宣統年間の録副については、第一档案館の目録には極めて少数しか記されていないのに対して、台湾の故宮博物院の軍機档案目録には、膨大な量、光緒年間に匹敵するくらいの量の目録がある。宣統年間の档案を、集中的に南方に持ち出したためではないかと私は推測している。


訪問する前に目を通しておきたい文献

 上記本文中でも、いくつかの文献・ウェブサイトについて触れたが、その他にも参考になる文献を列挙しておく。

○档案館の紹介・訪問記など
黨武彦 中国第一歴史档案館訪問記 センター通信35
(東大東洋文化研究所付属東洋学文献センター)
1995年
鈴木昭吾 中国第一歴史档案館見聞記 広島東洋史学報4 1999年

○特定の档案を紹介したもの
柳澤明(訳)/マーク・エリオット 中国第一歴史档案館所蔵内閣・宮中満文档案概述 東方学85 1993年
加藤直人 中国第一歴史档案館所蔵「逃人档」について 『松村古稀』 1994年
蒲地典子 清季華北の「郷保」の任免
――中国第一歴史档案館蔵『順天府全宗』宝抵(手偏を土偏にかえる)県档案史料の紹介を兼ねて――
近代中国研究彙報17 1995年
小田則子 中国第一歴史档案館所蔵の『順天府档案』について 史林81-1 1998年
杉山清彦 中国第一歴史档案館蔵『歴朝八旗雑档』簡紹 満族史研究通信8 1999年
喜多三佳 (書評)小田則子「中国第一歴史档案館所蔵の『順天府档案』について」 法制史研究49 2000年
柳澤明 中国第一歴史档案館所蔵のロシア関係満文档案について 満州族研究通信10 2001年



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